「苦労することが美徳」現代社会に蔓延る悪しき風習。
苦労することが美徳??
「苦労しなければいい大人になれないよ。」
「若い頃の苦労してきた人は将来大きくなるよ。」
いつも、周りから言われてきました。僕もそれを信じて今まで生きてきました。確かにテレビで見る成功している人たちは必ずしも血の滲むような努力をして、成果を出しています。
しかし、これは本当のところどうでしょうか?
何でも努力すれば結果が出るのでしょうか?
血の滲むような努力が必ずしも身を結ぶわけではありません。では、その人たちはどのようにして物事において成功をおさめているのでしょうか?
実際、成功している人は物事を極める過程において、楽しんで血の滲むような努力をしているケースが多く見られます。
アイスクリームを作る事がたまらなくおもしろい、自動車の整備を行って、お客様の喜ぶ顔を見ることがたまらなく嬉しい等。行う物事がたまらなく楽しい、おもしろいと感じて続けているうちに極めてしまっていたというケースが多数です。
楽しい、おもしろいと感じるタイミングは物事を行っているうちに好きになっていくのか、元から物事が好きなのか、人それぞれですが・・・
例えば
・本田圭佑さん(プロサッカー選手)
・はあちゅうさん(ブロガー・作家)
・堀江貴文さん(実業家)
・村上春樹さん(作家)
などがいます。
以上の傾向を踏まえ、自分が楽しい、おもしろいと思っている物事を行うことが幸せであるし、成功しやすいのです。
しかし、世間一般の考えは違います。
「勉強して良い企業に入ると将来、安泰だよ。」
「石の上に3年。入社後、はじめの3年は我慢するのは当たり前だ!」
「好きな事では、飯が食えない。そんな考え甘えだよ。」
などの楽しい、おもしろいと感じない事を我慢してやり続けることを美徳としているのが現代社会の風潮です。
僕もほんとうはやりたくない苦労をやり続けてきた経験があります。
人生の大半を費やした野球。
僕は、小学校4年生の時に地元の野球少年団に入部しました。仲の良い友達から勧誘されたからです。当時、僕は小学生では体が大き方で、チーム内で中心選手として活躍していました。
しかし、監督やコーチが横暴な方で、いつもミスに怯えながら野球をしていました。ミスをすれば代えられるので。
それから野球のおもしろさがわからないまま、高校野球まで続けました。努力をし続ければ、いつか凄い選手になって、甲子園に行けると信じていたからです。監督からの理不尽な罵声も毎日耐えてきました。
結局、甲子園どころか最後の大会は一回戦敗退、個人の成績も平凡。野球はクソ楽しくない。なんで、野球をしているんだろう?と思いました。
高校野球を終えて思ったことは、苦労し続ける自分に酔っていたということです。親も盲目的に甲子園を目指す息子の姿に酔っていたのでしょう。
実は本気で甲子園を目指していなかったのかもしれません?
正直、野球は楽しくありませんでしたし、好きでもありませんでした。苦労し続けることが美徳という世間の風潮に押し流されてずっと続けてきました。
現代社会の風潮に感じた違和感。
高校野球を終えた後、時間を持て余すようになり、バイトをしようと考えました。野球部の先輩に誘われて結婚式場のバイトをするようになりました。
業務内容は、主に料理の配膳でした。初めの方は怒られてばかりでしたが、慣れてくるとそこまで難しくはありませんでした。しかし、お客様からすると一生に一回の結婚式なので、いつも緊張感が漂っていて気が抜けませんでした。
しかも、バイト先の社員さんは支配人の顔色ばかりを伺い、支配人の機嫌が悪いと、社員さんの機嫌も悪く、僕らバイトへ当たり散らすことも珍しくはありませんでした。社会の縮図を見ているようでした。
ただ、悪い事ばかりではありませんでした。バイト同士の仲が良く、プライベートで遊んだりして交友関係が広がりました。
しかし、もし社会人となってこの職場に就職して一生働き続けると考えると、ゾッとしました。結婚式の進行や上司に神経をすり減らしながら、死ぬまで働き続ける。休みは週に1回。朝早くから晩の12時まで。ゾンビみたいな目をして働くために生きている。
はじめて、ただ苦労することがより良い人生を構築するために必要であるのかと考えたきっかけでした。
自ら命を絶った東大生。
2015年の2月に電通社員の高橋まつりさんが自ら命を絶ちました。この事件で僕が驚いたことは彼女が東大OGであったことです。
その頃の僕は学歴が良ければ、ホワイト企業に入る事ができ、一生安泰の人生を送る事が出来ると考えていました。そのため、このような事件は非常にショックを受けました。
高橋さんは、けっして「根性無し」ではなく、責任感が人一倍強い性格でした。そのような性格から日本の苦労することが美徳であるという考えから抜け出せず、一人で責任を背負いこんでしまったのではないかと思いました。
しかも、人事部、上司、同僚などに相談をしていながら、精神的にくるしんでいる高橋さんを助ける事ができませんでした。一流企業の会社員でありながら苦労することが美徳であるという日本の風潮に押し流されてしまっているのです。
大企業に就職することがけっして幸せではないと痛感しました。もし、高橋さんが企業カラーと自分の性格が合っていない事を自分で気付き、苦労することをやめていればどうでしょうか?別の生き方を見つけて人生を楽しめていたかもしれません。
自分の命を絶つ事は、本当に悲しいことです。周囲を悲しませてしまうし、何かにチャレンジする事ができません。生きていれば何度だって挑戦できます。
自分の命を守る意味でも苦労することが美徳であるという考えから脱却する必要があるのかもしれません。
東大生より優秀な妹。
僕には一人の妹がいます。妹は高卒でありながら、香川県では優良企業と言われる会社に入社しました。業務内容は主に薬品の調合を行うことです。ただ、薬品の調合をルーティン的に行うそうです。
しかし、妹は体を動かす事が大好きで、趣味として山登りや釣りなどを嗜んでいました。そのため、工場の中でルティーン的な作業を一生行う事に疑問を感じていました。そんな時に野生鳥獣対策機関の就職募集を目にし、入社してわずか2年で思い切って転職する事にしました。
入社試験は4次試験まで行われ、大学院卒の人たちと争って見事、就職を勝ち取りました。
僕は、そのような選択をした妹を素直に尊敬します。周りには批判的な意見を唱える方が多数いましたが、それでも妹は一生安泰な職を捨て、自分自身で選択して自分が夢中に取り組めると思われる職を手に入れました。
東大生にもできなかった苦労することが美徳であるという考えから脱却を果たした妹は今、野生鳥獣対策機関に就職して、楽しそうに毎日を過ごしています。
終わりに。
何かに向かって、頑張って、苦労し続けて、技術を手に入れて、その技術を使って何かを成し遂げる。そのようなことを真っ向から否定するつもりはありません。
何かを成し遂げるために努力するのは当たり前であるし、継続して努力することは誰にもできることではない、素晴らしい事だと思います。
ただ、その努力し続ける場所が自分にとって本意ではないのなら、継続して努力すること自体が楽しくないですし、継続することを諦めてしまうかもしれません。もし、継続できたとしても本当の意味での自分の力は身についていないでしょう。
日本のことわざに 「好きこそものの上手なれ」という言葉があるように、好きだからこそ、その物事に真摯に取り組むことができ、上達できます。
社会の風潮に惑わされず、苦労するフィールドを好きな物事を行うことに移しましょう!人生は一度きりしかないのだから。